こんにちは!こずえです。
社会人になってから数年経ったある日、
急によくわからない不安のような
モヤモヤした感覚が湧いてきました。
それから更に数年後、友人たちと
その頃の事を振り返って話していて
「漠然とした不安があったよね」という
話題で盛り上がりました。
みんな同じような感覚があったんだなと
思ったんですが、
その「ぼんやりとした不安」の正体って
一体何なんだろう?と思って考察して
みました^^
突然、正体不明の不安感が襲ってきた
昔、友人たちと話していて、
「何なのかわからないぼんやりとした不安感があった」
という話題で盛り上がったことがあります。
成人して、社会に出て数年経つと、
「これからどうなるんだろう?」
「このままでいのだろうか?」
という漠然とした不安が湧いてきたよね、と、
共感し合いました。
それは、見えない未来に対する不安が
そういう感情を引き起こすのだと思います。
予想ができないことが苦手だった
私自身、予測不可能なことがかなり苦手でした。
例えば、
目的地や宿泊先が決まっていない旅行や、
不規則な動きをする生き物、
初めての場所や体験、
などです。
「どうなるかわからないことへの恐怖」
がとても大きく自分にのしかかってきていました。
だから、
きちんと宿泊先や移動手段を決めた旅行しか
しませんでしたし、
フリータイムも事前にだいたい行動予定を
決めておくことが多かったです。
小さくてすばしっこい生き物、虫などは
本当に苦手でした。
ゆっくり動いて、しかもだいたい動作が予想できる
生き物しか触れることが出来ませんでした。
そして、初対面や友達作りも苦手でした。
どうなるかわからないことに対しての不安が
とても大きかったのです。
順応するということは自分が変わること
そのような当時の私自身の心を
読み解いていくと、
「安心していたい」という気持ちが
見えてきました。
「知っていること」に対しては安心感があり
心地よくいられるけれど、
「わからないことや予測不可能なこと」となると
その安心の領域から出て行かなければ
いけなくなるわけです。
つまり、
新しいことや不測の事態に対応することは、
当時の私にとっては
「変化すること」でした。
不測の事態にワクワクする自分もいた
心の中に変わることへの不安や恐怖が
あったにも関わらず、
思い返せば、いざ不測の事態が起きた時には
意外と冷静に対応出来ていましたw
というよりも、今思えば、
そんな時の方が心がワクワクしていた
ようにも思えますw
そんな自分が確かにいたのですが、
それでも
「居心地のよい安定したいつもの環境から出たくない」
という自分の方が大きかったのだと思います。
不安はただの幻(まぼろし)だった
ぼんやりとした不安感や
漠然とした恐怖というものは、
実は自分の無意識にある、
「安心していたい」「変化したくない」
という弱さが原因なのかもしれません。
そして、
「こんな風になったらどうしよう…」
「こうなるんじゃないか…」
という幻や妄想を見てしまうことになります。
だけど、同時に人には必ず、対応出来る順応性や
何とかしようとする底力というか
生命力みたいなものがあるんです。
「なんとかなる」
「いざとなったら何とかする」
といった強い感覚や気持ちに意識を持っていくと、
幻の世界に落ちていかずに済むのかなと思います。
自分や大切な人を傷つけないために
幻や思い込みで衝動的に
自分の心や体、
そして、大切な人の心を傷つけないために、
「漠然した不安を感じるなぁ」
と思った時点で弱い心の部分とは別の
自分の中にある「強さ」を見てみてください。
もし、自分で見つけられないようなら私たちセラピストに相談してみてください。
大人になったって思い悩むことはたくさんありますし、
それ自体は恥ずかしいことでも変なことでもありません。
私が友人たちと
「そんなこと言ってたよねー」と
思い出話として笑い合えたように
みんなそれぞれ心の状態には多少なりとも波があります。
幻の世界に堕ちないようにさえ気をつけていれば、
その不安の波を乗りこなすことが出来ますよ^^
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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