心が求めることが、感情に出てきたり、目の前の現実を引き起こしたりします。
ですが、心が求めていることがいったい何なのか、ほとんどの人は認識できません。
だから、不運な出来事が現実化したり、嫌な感情になってしまうことに関して、「これは自分の心が求めていることなんだ」という認識に辿り着けないのです。
心と無意識
人は、いろんな感覚を持っています。
なぜか、穏やかになれたり。
なぜか、イライラしてしまったり。
なぜか、突然欲求が爆発したり。
そうなってしまう理由は、無意識レベルには無数のデータがあり、その一つひとつのデータに、心の状態が異なる意識があるからです。
今日は、そんな、心と無意識について、別の切り口で説明して行きたいと思います。
「心」は動的
心の状態が違えば意識も変わります。
心の中で平穏であれば、穏やかな意識が発せられます。
心の中に、怒りや湧き上がってくれば、怒りの意識が発せられます。
心は、動的なんですね。
天気や、海の水面と同じように、ずっと変化し、変わり続けます。
荒れ狂う時もあれば、穏やかな時もあります。
常に変化し、動き続けています。
「無意識」はショートムービー
心から発せられた意識は、無意識レベルに保存されます。
まさにショートムービーのように、部分部分の印象深い出来事が保存されます。
実は、この「印象深い出来事」という事柄は、人によって違います。
それは、物の見方、ものの感じ方、感性によって、「印象深い出来事」というものが変わってくるからです。
少しの幸せさえも感じられる人の感性の持ち主だと、少しの幸せな出来事に対しての印象深さがあり、それがショートムービーとして保存されます。
反対に、少しの幸せになど興味がなく、悲劇のヒロインの感性の持ち主だと、自分がどれだけツライ思いをしているか?という部分に印象深さがあり、それがショートムービーとして保存されます。
なので、無意識レベルの中に、どんなショートムービーを保存して行くか?は、その人の感性によって決まります。
保存するショートムービーは、自分の心が何を望んでいるか?で決まる
どんなショートムービーを保存するか?は、その人の感性によって決まるのですが、その感性は、その人の心が望んでいる感覚のことです。
つまり、自分の心が悲劇のヒロインの感性になっている場合は、自分が悲劇のヒロインとしてのショートムービーしか保存されません。
そして、無意識レベルに保存された悲劇のヒロインのショートムービーは、頻繁に再生されます。
なぜ頻繁に再生されるか?というと、心が悲劇のヒロインであることを望んでいるからです。
ショートムービーを思い出して、その時の感情になり、さらに心はあらたな意識を発します。
「ああ、私はなんでこんなにも虐げられているんだろう…」と。
そして、その意識は、また印象深いものとなり、無意識レベルに保存されます。
これの繰り返しです。
そういうこともあり、負のループにハマると、とことんまで落ちてしまうのです。
もっというと、心が負のループを心で望んでいるから、そういう現実が目の前に現れるんですね。
今現在の感情や、目の前の現実は「心が求めた結果である」ということ
先日は、健康面の現実化について、こういう記事を書きました↓
健康面だけでなく、精神状態や湧き上がってくる感情も同じです。
今現在、イライラしたり、モヤモヤしたりするのは、自分の心が求めた結果が現れているだけなんです。
心が、そういう事柄を「印象深いもの」として受け取ってしまう感性になっているんです。
だから、ショートムービーとして自分の無意識レベルに保存され、そして、保存されたショートムービーが頻繁に再生されるのです。
負の感情のループから抜け出すためには、まず、そこに気づかなければいけません。
心は動的だからこそ、自分自身でもコントロールすることができる
心は動的で、変化し続けることができます。
晴れになったり、曇りになったり、雨が降ったり、嵐が起きたり。
心が求めるものも、変化します。
だから、「心変わり」ということも起きます。
ですが、心は自分自身でコントロールすることもできます。
なので、
- 「心の方向性を定める」
- 「信念を持つ」
- 「心に一本の芯を通す」
ということもできます。
心が変化するのは、色んな感性に触れるから起きること
多分、色んな感性に触れることが無ければ、心はそんなに変化しないでしょう。
ですが、社会に生きる中で、人は色んな人と出会い、色んなモノを見て、色んな体験をします。
その中で、色んな感性に触れることで、感化されることが多くなります。
色んな感性に触れることによって感化され、感性が変わるからこそ、ものの見方に変化があったり、受け取り方が変わってきたります↓
感性が変わるたびに、心の天候や、心の方向性が変わってしまうんですね。
心は自由。闇でも光でも求めることができる。
心は基本的に自由です。
闇を求めることもできます。
光を求めることもできます。
ですが、自分自身の心が光の感性を求めることに定まるまでは、闇の感性になってしまうことも忘れてはいけません。
もし、今のあなたの感情や、目の前の現実が暗いのであれば、それはあなたの心が闇を求めていることに気づけるかどうかがとても大切なポイントです。
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