こんにちは。晴です。
今日は、恥ずかしいですが、自分が過去に他人を責めてしまったときの体験談と、その時に得た気づきについてお話しようと思います。
もし最近他人に不満を抱いたことがある場合、参考にしていただければ幸いです。
他人が悪いと思うのは、思い通りに動いてほしいという欲の表れ
昔のことですが、その時通っていたギター教室を、やめるかどうか迷っていた時がありました。
なぜやめようと思ったのかというと、先生が以下のようなことをしており、教えることに対して怠けていると感じたからです。
- 私が弾いたものに対してアドバイスをせず、「後は暗譜しておいて」と言うだけ
- 先生自身が指定した教本を弾けなかった
- 「そもそも自分は弾く気がない」と言った
当時の私は、
せっかくお金を払っているのに、私が弾くのを聞いてるだけなら自主練と変わらないじゃん…。
と思い、イライラしてしまったので、教室を変えようと他の教室の体験を受けに行ったりしていました。
そうやってギター教室を辞めるのは先生のせいだと思っていたのですが、後になって私は先生に理想を求めていたことに気づきました。
- 私が弾いたものに対してアドバイスをしない→「お金を貰っている以上は、自主練では得られないものを生徒に与えるべきだ」と思っていたから
- 先生が指定した教本を弾けないのはどうなんだろう→「先生である以上、教える曲は全て弾けるようになっているべきだ」と思っていたから
冒頭で言ったやめようと思った理由の裏側には、自分が相手に対して「こうあってほしい」・「こうあるべきだ」という思い=欲がありました。
でも、先生が悪いという思いでいっぱいいっぱいになって、当時の私は自分の本当の思いに気づいていませんでした。
他人を責めているとき、事実を正しく見られなくなる
そうやって他人が悪いという思いに捉われ感情的になっていたとき、事実そうなのか考えることを手放してしまっていました。
- 本当に私が弾いたものに対してアドバイスをしていなかったか?→実際はたまに曲の解釈や拍の取り方、弾く時の指先の使い方を教えてくれていた。
- 指定した教本を本当に弾けていなかったのか?→本当はたどたどしくも弾こうとしてくれていた。
でも、当時の私はもっとスラスラ弾けるべきだと思ってあまり聞いていなかったり、先生の演奏にかぶせて弾いて、本当はこうでしょ、と優越感に浸ったりしていました(今思うとほんと性格悪いですね…)。
でも、先生が悪いと思い込んでいた当時の私はその事実を忘れてしまっていました。
わかっているけど目をそむけていたとかではなく、本当に忘れていました。
無意識レベルで、その方が楽だと思っていたからかもしれません。
○○が悪いと思うのは、その方が思考放棄で楽になれるから
ではそうやって自分に都合の悪いことから目を背けていた自分が悪かったのかというと、そうは思いません。
そもそも、この件に関して誰が悪いというのはないと思います。
確かに、教え方が少し適当だったり先生の指導をスルーしていたり、どちらも一般的によくないことをしていましたが、それはそういう事実があったというだけで、どちらが悪いという判断をくだすものではなかったと思っています。
○○が悪いという判断をするのは、物事を単純化するので楽です。
一度結論を出してしまえば、それ以上それに対して思考を巡らせる必要がなくなる(気がする)し、悪いのが自分にしろ相手にしろ、責任を押しつけて批判するのは事実を吟味するより頭を使わないからです。
しかし、単純な判断をしてしまうと、事実を都合よく解釈してしまったり、「悪いから責めていいんだ」という思いにつながり、感情的になりやすくなります。
だからこそ、事実を事実として捉えた上で、不満が出てきた理由を探っていくことが大事なのかなと思います。
本当の気持ちに気づけば対処もしやすい
今回の場合、そもそも教室をやめようと思った背景には「お金を貰っている以上は、自主練では得られないものを生徒に与えるべきだ」という思いが特に強くありました。
その思いの背景には、更に「自分が満足するほど先生から価値を与えられなかった」という思いがありました。
でも、先生は他人なので私がどうすれば満足するのか、私から言われない限り知る方法はないですよね。
なので、自分が満足するにはどうしたらよかったのか考え、それを先生に伝えればよかったなと後になって思いました。
また、「与えられて当然」という「お客様は神様だ」的な思いがあったのは、相手を人間として見ていなかったからかもしれません。
本や動画といった一方的なコミュニケーションしかできないものにおいてはその考えでもいいかと思いますが、先生は人間なので双方向的なコミュニケーションをとることができます。
わからなかったら聞けばいいし、不満に思ったら話し合えばいい。
それだけのことなのに、お金を介していたことで、相手のことを本や動画と同じように情報提供する商品として見てしまっていたのかもしれません。
まとめ
恥ずかしながら他人が悪いという思いこみに関して、過去の事例をお伝えしました。
このように、不満に思ったことに対し相手が悪いで終わらせるのではなく、自分の本当の思いに気づけたことで、相手を責める気持ちがなくなり楽になりました。
また、自分が本当にしたかったことへの対処法を考えることができるので、いつまでも悩まなくてよくなりました。
このブログを読んでくださっている皆さまも、もし同じような経験をしたことがある場合、自分の本当の想いに耳を傾けてみると楽になれるのかなと思います。
私たちセラピストも、そのお手伝いができれば幸いです。
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